「染・清流館」開館の挨拶
染・清流館 館長/木村重信
平成元年に「染・清流展」が始まったが、当初から買い上げ作品による染色美術館の設立構想があった。
その構想がこのたび「染・清流館」として実現したことを喜びたい。本館の特色は世界で初めての染色専門ギャラリーであること、
世界に冠たる「染色の都・京都」にできたことである。わが国では「先染め」「後染め」というが、この「後染め」が欧米には19世紀末までなかった。
したがって「先染め」を意味するdyeという語はあるが、「後染め」にあたる語はない。
近年、欧米でも日本の影響をうけて染色アートが興ったが、それを示す言葉としてsurface designがつくられた。
しかしこれは日本人にとっては奇異に思われる。なぜなら染色は単なる表面デザインではなく、布や紙の内部までに染みることであるから。
そのような意味で、おおぎょうにいうならば「染・清流館」の設立は画期的なことである。
とにかく外国からの受信に傾きがちなわが国の現代美術にとって、本館は京都の、ひいては日本の染色アートを世界に発信する拠点
となるが、それにともなってsurface design にかえて「染め」を世界語にしたいものである。
「染・清流館」開館に際して
大松株式会社会長/清流会会長/小澤淳二
「染・清流館」の名称は「清流亭」に由来する。もと南禅寺末の楞厳院があった所に大正初年に築かれた山荘を、
大正4年、御大礼のとき宿泊した東郷平八郎元帥が「清流亭」と命名した。山荘の棟梁は北村捨次郎氏で、後につくられた
東側の野村邸、西に隣接する龍村邸などとともに、南禅寺村とよばれた。この山荘は宮家をはじめ各界の名士や文人墨客が来遊し、
昭和に入ってからは美工社の作品展が催されるなど、京都の美術工芸家にとって憧れのサロンであった。
その詳細は久保田金僊「清流亭記」(昭和16年)にくわしく、それを父・小澤悦治が復刻している。 このような歴史にちなみ、
平成元年に始まった染色作品展を「染・清流展」と名づけた。
この展覧会は京都の染色作家のオールキャストで、当初から買い上げ作品を中心に現代染色美術館をつくる構想があった。
その構想が今度、ささやかな形ではあるが「染・染色館」として実現したわけである。
その間、作品作家はもとより、諸美術館、NHKや各新聞社、そして多くの人たちから支援していただいた。
ここに深く謝意を表すとともに「染・清流館」にたいしても変わらぬご芳情をお願いする次第である。
「染・清流館」に期待を寄せて
染色作家/三浦景生
待望の現代染色作品の常設館が設立されることになりました。私たちの大きなよろこびであります。大松株式会社小澤会長が設立
された「染・清流館」で多くのパネル形式の作品を収集されました。それらの作品が随時陳列されることで現代染色の認識が一層
深まることと思っています。周知のように京都は染織産業の中心でありますが、パネル形式や素材を活かした創作の展開は比較的
新しく、小合友之助稲垣稔次郎両先生から発してると言っても過言ではないと思います。近年特に多様化し進展していますが、
私達は更に内容の充実に励むべきであります。「染・清流館」では新人への開放や多くの方々との交流の場にもなると
思っています。新しい染色美術館の発足を心からお祝い申し上げます。