イメージを染める 中井貞次の世界
2019年1月18日(金) ~
2月17日(日)
中井貞次氏の展覧会《イメージを染める~中井貞次の世界》を開催いたします。中井氏が活躍され始めたのは京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)の在職中からなので、もう、60年を過ぎようとしています。中井氏は昭和7年(1932)1月に、銀行勤務の父、宗三郎と母、俊の次男として、京都市に生まれました。銀行勤務の常として、幼少期は、地方を転々としておりました。昭和19年(1944)疎開のため右京区太秦に転居しました。幼い頃から絵が好きで、愛宕山、嵯峨野、廣隆寺の寺域を写生して回りました。戦中戦後を地元の小学校、新制中学校、高等学校を卒業し、京都市立美術大学工芸科に入学しました。基礎的な教育を受けた後、いよいよ染織図案専攻に入りました。染織図案専攻には蝋染の小合友之助、型絵染の稲垣稔次郎が教鞭をとっていました。中井氏は小合友之助先生の自由な造形に心酔していましたし、当然ながら、得意な写生の力を存分に生かしました。専攻科終了後、昭和31年(1956)工芸科図案専攻の助手となりました。その間、小合先生とともに上野伊三郎教授、フェリス・リッチ教授夫妻のウィーン工房のデザインから、新鮮な刺激を受けました。昭和36年(1961)陶磁器専攻助手の小山喜平氏と共に京都市立美術大学在外研究員として中東諸国を西はギリシャ東はインドまで約40,000キロを車で踏破しました。その間、調査、資料の収集などの研究活動を盛んに行いました。そこから得た内面的な影響の大きさは、言う言葉はありません。約一ヶ年に渉る調査の旅となりました。昭和49年(1974)10月には、文化庁派遣在外研修員に選ばれ、1年間ヨーロッパ諸国を研修いたしました。乾燥の砂漠と違て、おだやかなヨーロッパの風土に、かえって衝撃を受けました。東洋の東の端に位置する日本の特殊性を意識することになりました。日展の特選となった昭和52年(1977)の〈間の実在〉は、木立の林立を借りて、日本的な「間」(空間)を表現したものです。シルクロードとヨーロッパの体験が無ければ、あり得ない作品でありましょう。さらに、昭和53年(1978)7月、鹿児島大学教育学部美術科へ非常勤講師・夏季集中講義に出向されました。これは平成11年(1999)まで続きます。南国での取材は、思わぬ賜物をもたらしました。屋久島や、石垣島、西表島などの琉球諸島を旅し、自然の偉大な活力に驚きました。また、鹿児島市街地から見える桜島の活動など、火山活動の神聖さにも息を飲みました。中井氏は芸術家でありますので、その驚きを作品に昇華させました。また平成9年(1997)夏から、3年に亘って、教育文化界友好訪中団顧問として中国各地を巡り、友好を深めました。中国の歴史ある大地と風景に魅了されました。この頃から造形への挑戦は少しずつ減じて、風景に抱かれるような表現が中井氏の作品に現れます。リズムの表現も顕著な特徴の一つです。中国南部の桂林の風景をさまざまな観点から捉え、藍の濃淡を混じえて、見事に表現されました。翻って、日本の風景の美しさを回顧し、日の匂い、森蔭の涼しさ、遠い山脈、村の径などなど、しみじみとした情感を感じさせる風景を表わしました。最近は、過去の旅を回想する作品が多くなっています。それは、古代風景であったり、古代人の姿であったり、木立であったり、抽象化された草花であったり、自在の手法を使い、訪ねるように表現しています。昔、人々は「老境に入って洒脱の境地に遊ぶ」と表現していますが、まさに「回想」の境地に遊ぶ中井貞次氏であります。
出品作家名
中井貞次