染・清流館とは

ABOUT

「染・清流館」は、2006年、
「日本の染色アートを世界に向けて発信する」
ことを目的として京都に設立されました。
京都を拠点に活躍する巨匠から新鋭まで
様々な染色作家の作品を所蔵・展示し、
染色を通じてお互いの交流をはかり
「染色の街 京都」の発展と染色アートの普及に
尽くしたいと思います。
世界で初めての染色アートの専門美術館。
心ゆくまで染色作家の力作に触れ、
奥深い染色アートを堪能してください。

染・清流館とは01 染・清流館とは02 染・清流館とは03

沿革

開館に寄せて

  • 「染・清流館」開館の挨拶

     平成元年に「染・清流展」が始まったが、当初から買上げ作品による染色美術館の設立構想があった。その構想がこのたび「染・清流館」として実現したことを喜びたい。本館の特色は世界で初めての染色専門のギャラリーであること、世界に冠たる「染色の都・京都」にできたことである。
     わが国では「先染め」「後染め」というが、この「後染め」が欧米には19世紀末までなかった。したがって「先染め」を意味するdyeという語はあるが、「後染め」にあたる語はない。近年、欧米でも日本の影響をうけて染色アートが興ったが、それを示す言葉としてsurface designがつくられた。しかしこれは日本人にとっては奇異に思われる。なぜなら染色は単なる表面デザインではなく、布や紙の内部まで染みることであるから。
     そのような意味で、おおぎょうにいうならば「染・清流館」の設立は画期的なことである。とかく外国からの受信に傾きがちなわが国の現代美術にとって、本館は京都の、ひいては日本の染色アートを世界に発信する拠点となるが、それにともなってsurface designにかえて「染め」を世界語にしたいものである。

    初代館長 木村 重信

  • 「染・清流館」開館に際して

     「染・清流館」の名称は「清流亭」に由来する。もと南禅寺末の楞厳院があった所に大正初年に築かれた山荘を、大正4年、御大礼のとき宿泊した東郷平八郎元帥が「清流亭」と命名した。山荘の棟梁は北村捨次郎氏で、後につくられた東側の野村邸、西に隣接する龍村邸などとともに、南禅寺村と呼ばれた。
     この山荘は宮家をはじめ各界の名士や文人墨客が来遊し、昭和に入ってからは美工社の作品展が催されるなど、京都の美術工芸家にとって憧れのサロンであった。その詳細は久保田金僊『清流亭記』(昭和16年)にくわしく、それを父・小澤悦治が復刻している。
    このような歴史にちなみ、平成元年に始まった染色作品展を「染・清流展」と名づけた。この展覧会は京都の染色作家のオール・キャストで、当初から買上げ作品を中心に現代染色美術館をつくる構想があった。その構想が今度、ささやかな形ではあるが「染・清流館」として実現したわけである。
     その間、出品作家はもとより、諸美術館、NHKや各新聞社、そして多くの人たちから支援していただいた。ここに深く謝意を表するとともに、「染・清流館」にたいしても変わらぬ御芳情をお願いする次第である。

    大松株式会社 会長 小澤 淳二

  • 「染・清流館」に期待を寄せて

     待望の現代染色作品の常設館が設立されることになりました。
    私たちの大きなよろこびであります。大松株式会社小澤社長が創立された「染・清流展」で多くのパネル形式の作品を収集されました。それらの作品が随時陳列されることで現代染色の認識が一層深まることと思っています。
     周知のように京都は染織産業の中心でありますが、パネル形式や素材を活かした創作の展開は比較的新しく、小合友之助、稲垣稔次郎両先生から発していると言っても過言ではないと思います。
    近年特に多様化し進展していますが、私達は更に内容の充実に励むべきであります。
     「染・清流館」では新人への開放や多くの方々との交流の場にもなると思っています。
    新しい染色美術館の発足を心よりお祝い申し上げます。

    染色作家 三浦 景⽣

  • 「染・清流館」開館を祝す

     「染・清流館」の開館おめでとうございます。若手作家を育成し、染色芸術の一層の発展を目指す拠点がここ室町に生まれたことは、さまざまなジャンルの芸術家を支援する京都芸術センターにとりましても今後、志を同じくする隣人を得て心強く存じます。
    京都が世界に誇る文化芸術都市でありつづけるよう、共に手を携えて歩んでまいりたいと願っております。

    現茶道裏千家家元 元京都芸術センター 館長 千 宗室

  • 「染・清流館」がうまれるまで

     10数年も前のことだから記憶も薄らいだが、初対面の小澤淳二・大松株式会社社長(当時)から「染織の本場・京都に染色専門の美術館を建設したい。その夢を実現するため、毎年、染色の展覧会を計画し、注目作を買上げてコレクションにしたいので協力してほしい」という申し出があった。バブルが弾ける寸前の御時世に、繊維関係の一民間企業が今さら夢のような構想を!という半信半疑の思いから、生来の意地悪な質問を投げかけたことだけは覚えている。
     ところが、小澤社長は真剣だった。1991年、念願の第1回「染・清流展」を京都市美術館で開催。出品作家は京都染色界で活躍する巨匠、中堅、新鋭作家を擁した総勢30人。さすが染色の伝統を誇る京都だけに、他の都市では及びもつかぬ層の厚さと質の高さだった。発足当初、顔ぶれを固定したサロン風の会にするか、固定せずに自由な競い合いの場にするかで議論もあったようだが、2回展では8人の新メンバーを加え、3回展からは作家代表の6氏(伊砂利彦、来野月乙、佐野猛夫、渋谷和子、三浦景生、皆川泰蔵)が推薦する候補作家を対象に、選考委員5氏(木村重信・代表、福永重樹、小澤淳二、山本六郎、藤慶之)をまじえて出品依頼作家を最終決定することになった。
     年齢や所属団体の違いを越えた約40人の染色作家たちが、1人5メートルもの壁面に、ロウ染、型染、絞り染など得意の技法を駆使した力作を発表するという展覧会だけに、各方面から注目を集め、第7回展からは京都展のあと東京展(目黒区美術館)も開催。
     第10回展を終えた段階で、運営方式の再検討がなされた。さきの選考委員5氏による運営委員会(代表・木村重信)を組織。毎年1年限りの推薦委員(5名)と特別推薦委員(2名)に出品作家の推薦を委嘱、運営委員会推薦の作家を加えて招待作家を決定するという全国規模の新方式を採用することになった。また昨年(2005年)の第15回展では、従来のパネル中心に加え、あえて出品作家に「現代のキモノ」という課題作にも挑戦してもらうことになり、多彩な内容の染・清流展となった。
     その間、常連の出品作家や染色関係筋から「肝心の染色美術館の話は、どうなっているのか?」という声が上がっていたが今回、ようやく永年の夢が実り、京都芸術センター北隣の地に「染・清流館」(木村重信館長)が完成、今秋(2006年)10月から開館の運びとなった。毎年の「染・清流展」から清流会(小澤淳二会長)が購入し続けてきたコレクションによる企画展をはじめ、公募形式の新鋭作家展(仮称)などが予定されている。京都で初の染色専門の“美術館”となるわけだが、この器を生かすも殺すも、運営委員会の重責はもちろん、推薦委員、出品作家、さらには関係各位のパックアップによるところ大。よろしく応援下さいますよう。

    美術ジャーナリスト/清流館運営委員 藤 慶之

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館長あいさつ

 染・清流館は、京都の染織の中心地である四条室町に2006年、現代染色専門の美術館として開館しました。そのきっかけは、この地において呉服の販売会社を経営する、小澤淳二の京都の染織文化への熱い想いから出発しています。1991年から現代染色作家の協力のもと、各所属を超えた作品展(染・清流展)を開催し、その中から多くの現代染色作品を収集してきました。同時にこの分野で大切な歴史的作品も収集し、現在では京都を中心とする作家の作品約600点を収蔵しております。
 京都の歴史と文化に育まれて来た染色文化は、世界に誇れる日本独自の文化・芸術であると自負しております。本館は広く日本国内だけでなく、海外に向けてもこの染色文化を普及させるため、今後も研究発表、保存に努めてまいります。

館長 小澤 達也