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 鮮やかな原色、パースペクティブを生かした立体感のある形体による理知的な平面構成が、市村冨美夫のシルクスクリーン作品を特徴づける。染色の特質とされる滲みなどとは対極にあるその明快な表現は、しかし素材となる繊維のテクスチャーが色料を通して明確に存在を主張しているという点で、まぎれもなく染色作品であることを示している。
 1949 年に中山道の宿場町である長野県長久保宿に生まれたが、7歳で横浜に移住した。人と交わるのが苦手だったという市村少年は、小学生の時から絵画の世界にのめり込んだ。逗子開成高校では美術部に入部し、デッサン、写生など美術の基礎の習得に励んだ。当時はサイケデリックアートやモダンデザイン運動が盛んな時代で、学校にあったデザイン雑誌『アイデア』に掲載されていたイラストレーションのもつフラットな絵画性に強い関心を覚えたという。
 1971年に東京藝術大学工芸科に入学。2年の基礎課程ののち、染織を専攻する。学生時代から、筆あとの残らない絵画性に魅力を感じてシルクスクリーンで制作を行った。1973 年、3回生の時に早くも日本現代工芸展に初入選を果たしている。大学院修了後、助手として大学に残り、シルクスクリーン制作を続けるが、1980年頃からシルクスクリーンの制作を突き詰めると版画に近づいていくというジレンマから、もう一度染色の原点に戻ろうと友禅による作品制作に転向する。まだ友禅を平面作品の技法として使う作家はいなかった時だ。色料の浸透拡散を防ぐ空間が形を生む器の概念に辿り着くのに10 年を費やした。
 1990 年、京都精華大学で教鞭を執ることになり京都へ移る。その頃から、またシルクスクリーンでの制作を再開した。同年の日展に出品した「晩夏幻光」など、愛犬との散歩やそこで出会う光景など日常生活の情景を、私小説を綴るように、鮮やかな色彩でコラージュした装飾性の強い作品を制作した。その作風が変わるきっかけになったのが、1995 年に起こった阪神淡路大震災である。その年の作品「失意の方位」は、それまでの鮮やかな色彩は影を潜め、漆黒の背景に直線的なオブジェが押さえた色調で表現されたものだ。それ以降、記憶や虚構などをキーワードに、自己の内面世界を、色面やドット、直線的な形体などを構成することによって視覚化していく作品が展開されていく。
 2013 年の瀬戸内国際芸術祭では、香川県の離島・高見島に多度津町の子供たち3000 人の協力を得て、大がかりなインスタレーションを制作した。「甦る畏敬のかたち」と題されたその作品は、船着場から山まで島のいたる所に、「繋げる」という意味で子供たちの手形が印された3000 本の黄色い旗を林立させ、その中心に立方体の白い木枠と白い椅子を据えたオブジェが設置されるというもので、往時の活き活きとした島の有り様を再現するという意図を込めた。
 2015 年の第20 回染・清流展に出品された新作「記憶と虚構─畏敬のかたち─」では、初めて沖縄をテーマにした。もう40 年近く行われていない祭祀、イザイホーの島・久高島をモチーフに、中央に御殿庭(うどんみゃー)、周囲に芭蕉の葉やアカショウビンの相貌などを配し、熱帯の暮らしが生んだ原初的な宗教が孕む精神性を作品に託した。
佐藤能史(染織と生活社編集長)

 

 

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