>>作家探訪問INDEXへ戻る

 

 蠟型や撒蠟、布象嵌など独自の技法を駆使した福本繁樹氏の蠟染め作品は、抽象表現でありな がら、自然の風光を孕んだような日本の伝統美に繋がる清冽な印象を残す。角度の違いによって異なった相貌を見せる、染めでしか表し得ない表現効果を追求した、表面が凹凸を形成する半立体的な画面構成、また数ミリ角の布片が無数に連続するモザイクのような細密な布象嵌などによる、福本氏ならではの作品展開は、工芸の分野のみならず、現代美術の世界でも高い評価を得ている。
 1946年に滋賀県で生まれ、京都で育った福本氏は、1964年、京都市立美術大学西洋画科に入学した。2回生19歳の時、病で倒れた父に代わって着物の制作を本格的に始めることになる。父は日展系染色作家の福本三木氏。お洒落着が全盛で、蠟の味を生かし、ぼかしや地染めを重ねるオリジナル着物の制作に打ち込んだ。着物の制作は以来24年間取り組み、数千反は染めたかという。大学では、木村重信助教授(当時)の勧めで探検部を設立した。専攻科2回生の時、京都市立芸術大学ニューギニア美術調査隊に参加する。以後、15回にわたって南太平洋の島々のフィールドワークを行い、民族美術を調査した。その成果は弱冠30歳で上梓した『メラネシアの美術』(1976年)などに結実した。
 染色作家としては、1976年に本格的に活動を開始し、その年、日本現代工芸美術展、京展、日展に相次いで入選した。福本氏が、他の染色作家と一線を画すのは、染織の世界に閉じこもらず、内外の現代美術やファイバーアートの公募展に積極的に出品していこうとする姿勢である。1984年、日仏現代美術展佳作、アカデミー・デ・ボザール第1席、90年大阪絵画トリエンナーレ銅賞、91年エンバ賞美術展大賞を相次いで受賞した。また、ファイバーアートが中心だったスイス・ローザンヌのビエンナーレ、ポーランドの国際タピスリー・トリエンナーレにも出品するなど、分野にとらわれないグローバルな活動を展開していく。そのことは、福本氏に、染めで作品を制作することの根源的な意味を問いかけることにもなったはずである。自らが表現手段とする染めを緻密に考察し、染めが世界にも比類のない日本固有の文化であることを『染み染み染みる「染め」の文化』(1996年)で、多角的な視点から論証を試みた。
 韓国の清州国際工芸ビエンナーレ、中国の国際繊維芸術双年展をはじめ国内外の展覧会には、現在も精力的に出品し続けている。また教育面では、大阪芸術大学教授として染色教育に取り組み、染色論や工芸論などの講義や、民族藝術学会などの研究活動や著作もすすめてきた。
 近年、染まるという現象に結果をゆだねる「なるほど染め」という手法で作品制作をすることが多い。ユーモラスな名称だが、その中には染めの「する」から「なる」へという、自然の理法を生かそうとする姿勢が込められている。
 この夏、京都市右京区京北にアトリエを移した。里山が身近に迫る緑豊かな環境の中で、新たな創作に向かう。
佐藤能史(染織と生活社編集長)

 

 

>>作家探訪問INDEXへ戻る