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 石田杜人氏の染色作品には、インドの風土、文化、人間が混沌として醸し出す精神世界が、画面から色濃くにじみ出てくる表現のものが多い。まるで中世と現代が渾然と存在し、生と死が露わに表出するようなインドの、街角での人々の営み、天空にそびえる宮殿、神々が宿る寺院などの情景を、リアルに描写するというよりは、細部をそぎ落とし、象徴化して描き出すことによって、人間存在の根源をよりくっきりと際立たせる。けれども、その作風は決して重苦しいものではない。ろう染による染色ならではの透明感と、白い風が吹き抜けていくような清寂な印象を残す。  石田杜人氏は、1943年の生まれ。絵が好きだった父親の影響を受けて、20歳で、橋本関雪の最後の弟子であった日本画家・浅野鶴汀に入門する。2年間の内弟子時代には、写生の基礎、運筆を厳しく仕込まれ、それが後年、染色制作の上でも大いに役立ったという。  ある展覧会で見た三浦景生氏の作品「末摘花」に強い感銘を受け、染色家を目指す。生活の糧として、友禅、素描、ろう染、ぼかしなど、様々な染色技法を駆使して着物を制作した。20代の半ばごろ、加賀友禅の独特の色調「加賀五彩」に魅せられ、思い余って金沢まで出向き、人間国宝の木村雨山を朝早く訪ねて入門を請ったこともあったが、これは叶わなかった。  1975年に京展、京都府工美展に入選を果たし、これが染色作家として表舞台に立つ出発点となった。翌年の1976年、日本画家、洋画家などの友人たち4人で40日間、初めてインドを旅した。ガイドブックもない過酷な旅だったが、異文化の空気や匂いを孕んだ強烈な情景を多くの写生に描いた。それは、その年に京展に出品した「バニアンの樹」という作品に結実した。以後、毎年のように、数十日をかけてインドを旅する。その体験から、冒頭に触れた一連のインドを主題とした作品が次々と生れていった。異郷の中で考えるようになった宗教についてもっと深く学びたいと、佛教大学の通信教育部で修学したこともある。  石田氏は、俳人という顔も持つ。楠本憲吉が創始し、石田氏の俳句の師・鈴木明氏が主宰する俳句結社「野の会」の無鑑査として句作を行う。詩歌は、少年のころからなじんでいて、高校生の時には友人と「歌の会」を作り、短歌や俳句雑誌に投稿していたという文学の人でもあるのだ。この3月に染・清流館で「俳句からの創造」という展覧会が始まる。古典から現代俳句まで、36名の染色作家が選んだ俳句をテーマに制作した作品を出品する。石田氏は鈴木明氏の句を選び、ようやくその作品が完成したばかりだ。  視覚的な染色の創作と俳句はまったく異質なもの。ともに追求するのは至難だ。俳句とともに、絵画にもその才を発揮した与謝蕪村を遠くに見据える。
佐藤能史(染織と生活社編集長)

 

 

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