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井隼慶人氏の蝋染作品からは自然の生命力が響いてくる。澄んだ明るい色彩。画面からはみ出すような躍動的で大胆な構図。植物、風景など、自然の態様をモチーフにしていても、その表現は、花鳥風月や風景画などという言葉から連想させる静的なイメージとは対極にある独自のものだ。
井隼氏は、1961年に京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)工芸科染織コースに入学した。教授であった型染の人間国宝・稲垣稔次郎はすでに病床にあり謦咳に接することはなかったが、蝋染の小合友之助はまだ教鞭を執っており、その人間的スケールの大きさを知ると共に自然を見つめる心を学んだ。また当時、佐野猛夫、三浦景雄、来野月乙、寺石正作、黒田暢、西嶋武司など多彩な人材による教育内容から、染色による未知の表現展開に刺激を受けた。意外なことに、井隼氏は、学生時代は型染を中心に作品制作をしていたそうだ。在学中に中野光雄氏に型染の基礎的な指導を受け、その表現の可能性と魅力を感じた。先輩には麻田脩二、清水忠、田島征彦などがいて、活発な染色活動を展開しており、その型染表現からも強い影響を受けたという。
卒業後、専攻科に進学するが「スランプに陥って」しまい、作品を思うように制作できなくなった。そのため、専攻科を修了後、作家の道には進まず、着物製作で身を立てる。しかし、着物や帯の仕事をしながらも、作品制作への思いは断ちがたく、学校を出て10年ほど経ってから、着物製作の仕事の中で習得した蝋染の技法で作品を制作、京展出品が作家デビューとなった。その後、日展など多くの展覧会で受賞を重ねる。
作品制作では、染色素材を生かすため、いかに平面のなかにイメージの立体空間を構築していくかを心がける。自然を題材にすることが多いが、対象の上下、前後など異なる視点を同じ画面のなかに組み込んでいくことで、新しい形が生まれる。モチーフの様々な状況の積み重ねによって、心の模様を創作する。最近は、蝋染を基本にしながら、細部に手描きを併用することで、これまでとは違った装飾的な新しい染色表現の広がりを試みている。
2007年に京都市立芸術大学教授を退任し、日展、日本新工芸展などでは、ベテラン作家として、制作活動の第一線に立ちながら、後進を指導する立場にある。「若い作家が作品制作を継続していけるよう、出来るだけサポートしていきたい」と、染色の可能性と次代への継承に心を砕く。
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