過去の展覧会

PAST EVENT GALLERY 2011

2011,01,08-2011,02,20

三人展

 京都市立芸術大学130周年の記念展、「京都日本画の誕生」 に出品された1点の掛軸、今尾景年作の「遊鯉図」。本作品は、 明治26(1893)年、シカゴで開催された、コロンブス世界博 覧会に出品されたものである。博覧会における絵画の出品区 分は、美術部第140部「油絵」と第141部「水彩画」とがあり、 本作品は第141部の「水彩画」の部に出品された。明治政府と して初めて参加した明治6(1873)年のウィーン万博、あるい は明治22(1889)年のパリ万博においても、日本の絵画は「美 術館」に展示されることはなく、工芸品として扱われていた。 政府の臨時博覧会事務局は、シカゴ博では、日本絵画を「美術」 の部に組み入れてもらうべく方策を練り、日本画であっても 軸装ではなく額装した上で出品するように指導した。この「遊 鯉図」も博覧会には額に入れて出品され、現在のような軸装 になったのは、作家から京都国立博物館に寄贈された後の昭 和5(1930)年のことであった。 西欧の「美術」概念がほぼ浸透した昭和に入ると、帝展を 中心とする現今美術のコンペティションでは、日本画におい ては軸装や屏風の形状は姿を消し、額装が標準となり、また 図録でも形状を捨象した画面のみの掲載が通例となった(明 治30年頃までは展覧会図録や雑誌への掲載に、今日でも古美 術商の売立目録に見られるような、縁裂の一部や軸全体を含 んだものが見受けられる)。昭和5年の「遊鯉図」の改装は、 もはや現今美術として西欧概念とのせめぎ合いを超えたとこ ろで「自然」な形状を求めた、言わば古美術化の行為であっ たとも解せなくはない。そしてこのことは、西欧の「美術」概 念と帳尻を合わせるために一旦は等閑にされた縁裂というテ キスタイルが復権した事象のように受け止められなくもない。 だが改装された現在の縁裂は「オリジナル」のテキスタイル ではなく、むしろ交換可能な額縁と等価な「絵画」の付属品 として付加されたものとみなすべきであろう。 元来、掛軸という事物として実体化する際に協働していた 裂という繊維の技芸。明治期後半以降、それらは絵画と共存 する術を失い、染織はむしろ絵画的な「工芸」として美術に 参入する方向に向かわざるを得なくなった。「日本画の誕生」 展に出品された「遊鯉図」はその道筋を皮肉な形で知らしめ ているようにも思われる。筆者は現在二条城で江戸初期の障 壁画の修理に関わっている。量はさほど多くはないものの、 ここにも絵画に寄り添うテキスタイルとして、小さな襖などに 同時代製とみなせる縁裂が見受けられる。絵画の「近代的な」 修理を前提としつつ、「美術」以前のテキスタイルにいかに向 き合うべきか。既に西欧的な「美術」の枠組みに馴染みきっ た眼を持つ私たちは、額装を強いられた景年の違和感を今一 度想起しつつ事に当たらねばならないのである。
中谷 至宏(元離宮二条城事務所 担当係長 学芸員)

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