過去の展覧会

PAST EVENT GALLERY 2010

2010,03,02-2010,03,22

木村菜穂子展

あくまでも伝統芸に徹する職人ならいざ知らず、自由で主体的表現に賭けるアーティストのジャンル越え新地平探しなど、理の当然でなければならない。美的ショックや感動を誘う作品ならば、どんな素材や技法でも、好いものを好いとするのが私の主義だ。絵画でも、工芸でも、彫刻でも、インスタレーションでも……。ミュー ズを懐深く内在させる作品を眼前に、腰を引く理由などどこにあろうか。美という“ 愛の原理”。自分の詩の中でこう定義したのは、確か草間彌生だった。木村菜穂子もまた、大局的には“ 愛の原理” を継承する現代の選ばれたアーティストの1人なのではない か。〈アートフェア東京2008〉における彼女の紅蓮の炎の大作「KUGUTU  イザナミ」の美との邂逅は、決定的だった。着衣の人体を写実的に描画するには、着衣越しに対象のヌードを透視できなければならない。「古事記」を題材とするこの作品の場合、それがなんと、画面上から展観者自らに厳粛に着衣を脱がせるば かりか、性までも開示するという精巧な装置に、まず驚愕した。あたかもフォンタナが、鋭利なナイフでキャンバスに切り込みを入れ、裏の空間を覗かせる以上にリアルに、強烈なインパクトを感じた。木村菜穂子は最初から、脱がせるべく仕掛け、少女時代の着せ換え人形的発想を援用したのだ。 きわめて鮮麗均質な色面で、くっきり、すっきり型取られる木村菜穂子の近作群。しかし例えば、画面の表層を1 枚剥ぐと仮定するなら、そこに横たわるのが、ヌエ(鵺)のような存在なのかもしれない。サルの貌、タヌキの胴体、トラの四肢、ヘビの尾をもつヌエ。鏡に映るおのれのすがたにたじろぎ、思わず挑みかか ろうとするヌエこそ、現代社会の化身そのものではないのか。その化身を極彩色で偽装し、表層に反転させる。偽装といえば遙かな昔、サルがようやく直立歩行する頃、ヒトとしてめざめかけたオスとメスが、互いの性を布で匿すようになる。偽装化の第一歩である。以来、幾多の偽装と競いながら、ヒトから人間へと変容 してきた。人間社会の文化とは究極のところ、こうした偽装の積み重ねで成り立つ歴史なのではなかろうか。木村菜穂子の画面は、本能に基づく精神的エネルギーと欲望との緊張関係でいっぱいに充たされている。極彩色のかたちはどこか謎めき、秘密が匿されているように観える。

宵待草は
裏切りを食べ
黄色い花を咲かせる
それを眺めていらっしゃる

お月さま
だれか
月を射ち落とせ
とりすましたあの蒼い貌には
秘密が匿されている

(『ワシオ・トシヒコ詩集』収録「月」)
木村菜穂子のサイコロジカルなロマンと神秘の創造世界は、現代の夜空に妖しく輝く、月の満ち欠けに喩えられるかもしれない。

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