過去の展覧会

some seiryu past event gallery

PAST EVENT GALLERY 2011

2011,5,1-2011,6,5

潮音寺コレクションと現代染色作家展

 京都市街の北方に、深泥池があります。ここは、太古の時代からの植物も自生していると言われ、その水辺に黄色の菖蒲が太陽の下で揺れています。 又少し西方には、大田神社さんがあります。その境内の木漏れ日の下、淡紫色の般若の群落があり、いずれもゆったりと落ち着いた時を刻みます。 剣のような葉と共に、すっと伸びた茎の上には硬さを残して凛とした花が、二度楽しめます。この度は、潮音寺さんの名品と共に、六人六様の 「いずれ菖蒲か般若」の花盛りとなることでしょう。
内藤英治

2011,4,1-2011,4,24

西嶋武司とその周辺の作家達

 西嶋武司は(1929年~2003年)は、堀川二条の写し友禅を家業とする家に生まれ、京都高等工芸学校 (現京都工芸繊維大学)色染科を卒業の後、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)で繊維工芸を学びました。 そうした異色の経歴による、染色技術についての豊富な化学的知識をもとに、牡丹などの花や山容などの風景をテーマに、 独自の清冽な色彩と空間を生かした斬新な構図の染色美を創作しました。日展や日本新工芸展に作品を次々に発表するかたわら、 京都市立芸術大学、池坊短期大学などで後進の指導にも情熱を注ぎ、 多くの染色作家を育てました。今回は、西嶋武司の作品と氏にゆかりのある型染作家12人の作品を一堂に展観します。

2011,3,1-2011,3,24

伊砂利彦追善展

 最近「品格」ばやりであるが、ドビュッシーなどの音楽に想をえた、伊砂利彦さんの染色にも品格がある。切れ味のよい音と、流れるようなリズムと、豊かなハーモニー によって、ユニークでモダンな高い品格の作品を作った。このことは、新匠工芸会に属する他の染色作家に共通していて、この会を創設した、富本憲吉さんや稲垣稔次郎さんの伝統が今も生きていることを示している。
木村重信(染・清流館館長)

2011,1,8-2011,2,20

三人展

 京都市立芸術大学130周年の記念展、「京都日本画の誕生」 に出品された1点の掛軸、今尾景年作の「遊鯉図」。本作品は、 明治26(1893)年、シカゴで開催された、コロンブス世界博 覧会に出品されたものである。博覧会における絵画の出品区 分は、美術部第140部「油絵」と第141部「水彩画」とがあり、 本作品は第141部の「水彩画」の部に出品された。明治政府と して初めて参加した明治6(1873)年のウィーン万博、あるい は明治22(1889)年のパリ万博においても、日本の絵画は「美 術館」に展示されることはなく、工芸品として扱われていた。 政府の臨時博覧会事務局は、シカゴ博では、日本絵画を「美術」 の部に組み入れてもらうべく方策を練り、日本画であっても 軸装ではなく額装した上で出品するように指導した。この「遊 鯉図」も博覧会には額に入れて出品され、現在のような軸装 になったのは、作家から京都国立博物館に寄贈された後の昭 和5(1930)年のことであった。 西欧の「美術」概念がほぼ浸透した昭和に入ると、帝展を 中心とする現今美術のコンペティションでは、日本画におい ては軸装や屏風の形状は姿を消し、額装が標準となり、また 図録でも形状を捨象した画面のみの掲載が通例となった(明 治30年頃までは展覧会図録や雑誌への掲載に、今日でも古美 術商の売立目録に見られるような、縁裂の一部や軸全体を含 んだものが見受けられる)。昭和5年の「遊鯉図」の改装は、 もはや現今美術として西欧概念とのせめぎ合いを超えたとこ ろで「自然」な形状を求めた、言わば古美術化の行為であっ たとも解せなくはない。そしてこのことは、西欧の「美術」概 念と帳尻を合わせるために一旦は等閑にされた縁裂というテ キスタイルが復権した事象のように受け止められなくもない。 だが改装された現在の縁裂は「オリジナル」のテキスタイル ではなく、むしろ交換可能な額縁と等価な「絵画」の付属品 として付加されたものとみなすべきであろう。 元来、掛軸という事物として実体化する際に協働していた 裂という繊維の技芸。明治期後半以降、それらは絵画と共存 する術を失い、染織はむしろ絵画的な「工芸」として美術に 参入する方向に向かわざるを得なくなった。「日本画の誕生」 展に出品された「遊鯉図」はその道筋を皮肉な形で知らしめ ているようにも思われる。筆者は現在二条城で江戸初期の障 壁画の修理に関わっている。量はさほど多くはないものの、 ここにも絵画に寄り添うテキスタイルとして、小さな襖などに 同時代製とみなせる縁裂が見受けられる。絵画の「近代的な」 修理を前提としつつ、「美術」以前のテキスタイルにいかに向 き合うべきか。既に西欧的な「美術」の枠組みに馴染みきっ た眼を持つ私たちは、額装を強いられた景年の違和感を今一 度想起しつつ事に当たらねばならないのである。
中谷 至宏(元離宮二条城事務所 担当係長 学芸員)


PAST EVENT GALLERY 2010

2010,12,01-2010,12,23

五彩あやなす part2 

「日本の心」について、示唆に富んだ先人の主張やことばが ある。たとえば、芭蕉が「為る句」と「成る句」を区別し、頭 でつくる句よりも、おのづからにして「成る句」を重んじた。 造化に従い、自然のよびかけに応ずることが芭蕉の「風流」だっ た。親鸞の「自然法爾」とか、夏目漱石が晩年にいった「則天去私」 も同様の日本の心をしめすようだ。また、白川静は「なる」の 意味を解説し、「なる~なるほど」という存在の論理のうちには、 日本的とよばれる思考の基本的な性格が含まれているように思 うと記している。キーワードは「する」にたいする「なる」である。 工芸家はよく「素材をいかす」とか「素材の声をきく」などと、 自らの創作姿勢を語る。「素材・技法・プロセス」にねざした 造形思考は、工芸家に特徴的であるばかりでなく、日本の心を もあらわし、21世紀にあるべき「なるほどの造形思考」であ ろう。とりわけ、染み、滲み、むらをつくる染めの「なる」的 造形に、その傾向が顕著である。 今回の出展作家は、植物をモチーフに生命の気吹を描き続け る円並地順子、韓国のチェッコリ図に現代をもりこむ裵京姫、 ストロークとテクスチュアを追求する山崎香織の、?染めにと りくむ3名と、細編みでミクロコスモスを掌中におさめる伊藤 光、ポップなプリント地とニードルワークによってGirly世界 に誘う酒井稚恵。5名は、五彩あやなす「なるほどの造形思考」 の面々である。
福本繁樹(大阪芸術大学教授)

2010,11,01-2010,11,23

型染五人展 

2010年5月、京都国立近代美術館で「稲垣仲静・稔次郎兄 弟展」が開催され、久々に稲垣稔次郎先生の型染作品を数多く 観る事が出来、改めて型染めの美しさに触れる思いでした。 それまで型染技法は、染色の中で量産に結び付いていました が、稲垣先生を筆頭に、型による表現を創作の世界に展開され、 多くの先生方や後進が、様々な作品を生み出してきました。そ の流れの中の私自身も、「型染」といえば稲垣先生を切り離せ ないものと意識している世代であると思います。 今回の若い世代の「型染五人展」のメンバーは、型染技法を 各自の表現媒体として、新たなる世界の創作と技法解釈を試み ながら、本腰を入れて取り組んでいる作家達です。 型染めは、その技法上の特質から、意図した図を描き上げる 上で多くの制約が存在しますが、彼女達は曖昧な表現を許さな い明確さを求め、この制約を不自由なものとして捉えるのではな く、より新たな表現手段として楽しんでいる様にも思われます。 ○梅崎由起子は「水の流れ、そこに生息する金魚がいる風景」 を、型を繰り返す事により生まれるリズムと布のマッチング。 ○小川久美子は、「音楽から得たイメージにより展開する世 界」を、楽譜の様に型染を扱い、音楽を感じる世界を奏でる。 ○北里美絵子は、「生き物」をテーマにしつつ、それぞれが 持つ普遍的な形態の追求と生命の尊さ、美しさを表現。 ○曽根亮子は、日常の穏やかな時の流れの中で、「現実と記 憶(目にしているもの、いつか感じた感覚)が交錯する瞬間」 を、身近な情景の中に投影していく。 ○玉井佐知は、現代に生きる彼女自身が「ひと」を描くこと で見えてくる「わたし」という人間や取り巻く社会、ひと への関心や興味を、自由に多彩に表現。 このように「型染」という技法と共に「今」を歩み、新たな 表現の世界を開拓する五人五様の展開を、大いに期待し楽しみ たいと思います。
内藤 英治(京都市立芸術大学 教授)

2010,10,01-2010,10,24

きょうと現代染色アーカイヴ・Ⅰ‐とりどりの赤‐

清流館は、過去17 回開いた「染・清流展」のあゆみを紹介する「きょうと現代染色アーカイヴ」展を開催いたします。 「染・清流展」は1990 年に始まり、出展作品は総計700 点以上にのぼります。それらの作品は、ひとつひとつが芸術 品であると同時に、総体として過去20 年間における京都染色界のアーカイヴ(記録保存所)のような役割を果たしてい るといえましょう。
「きょうと現代染色アーカイヴ」展では、過去の「染・清流展」会場を彩った作品に新たな角度から光を当て、染色家 たちが手掛けた逸品の魅力を紹介します。第1 回は染色の「色」がテーマ。「Le Noir et le Rouge ~カラフルな黒、 とりどりの赤~」と題して、前期は黒、後期は赤を基調にした作品を展示します。 黒は礼装に用いられる公的な色であり、闇や夜空は神秘や畏怖をも感じさせます。染色家が布を黒く染めるとき、ど んな思索が込められているのでしょうか。対して赤は情熱の色、ほとばしる生命の色です。鎮静と発散、ふたつの対照的な色を通して、京都の染色の奥行きを感じていただけることでしょう。
深萱 真穂

2010,09,01-2010,09,23

きょうと現代染色アーカイヴ・Ⅰ‐カラフルな黒‐

清流館は、過去17 回開いた「染・清流展」のあゆみを紹介する「きょうと現代染色アーカイヴ」展を開催いたします。 「染・清流展」は1990 年に始まり、出展作品は総計700 点以上にのぼります。それらの作品は、ひとつひとつが芸術 品であると同時に、総体として過去20 年間における京都染色界のアーカイヴ(記録保存所)のような役割を果たしてい るといえましょう。
「きょうと現代染色アーカイヴ」展では、過去の「染・清流展」会場を彩った作品に新たな角度から光を当て、染色家 たちが手掛けた逸品の魅力を紹介します。第1 回は染色の「色」がテーマ。「Le Noir et le Rouge ~カラフルな黒、 とりどりの赤~」と題して、前期は黒、後期は赤を基調にした作品を展示します。 黒は礼装に用いられる公的な色であり、闇や夜空は神秘や畏怖をも感じさせます。染色家が布を黒く染めるとき、ど んな思索が込められているのでしょうか。対して赤は情熱の色、ほとばしる生命の色です。鎮静と発散、ふたつの対照的な色を通して、京都の染色の奥行きを感じていただけることでしょう。
深萱 真穂

2010,6,11-2010,07,31

第2回祇園祭展

山鉾町のまっただなかに「MUSÉE DE SOMÉ」が開館されて4年!。昨年7月。田島征彦氏のプロデュースで『祇園祭展』がひらかれ6名の作家が自分の想いのなかにある祇園祭を表現して いた。確たる染技法での表現者は少数派で、イメージ先行型が主流であったしそれは風流の再構築に向けての挑戦でもあった。今年も祇園囃子が街々に流れ始まる6月15日から新しいメン バーではじまる。昨年よりも更なる発想を求めての作品がSOMÉの会場をうめつくすと聞いている。祇園祭の山鉾行事が世界の無形文化遺産に登録されこの諸行事が格調高く行なわれるのは喜ばしいことではあるが、風流の面目 はその固定化によって失われてもいよう。今年の作品群が、激しく・どぎつい表現であったであろう初源の姿を見せてくれることを私は心ときめかせている。
財団法人 祇園祭山鉾連合会 副理事長 吉田 孝次郎

2010,05,01-2010,06,06

福本潮子展

茶道具などの様々な取り合わせ、それらとの出会いを楽しむことは、茶席の意義の一つである。福本が手掛ける掛け物や風炉先屏風は勿論、それぞれがそうした組み合わせを彩るものである。しか し、この作家の目指すところは個々の「道具」や「素材」を提供するにとどまらなかった。染色家・福本潮子が自身の表現として本格的に茶室を意識するようになったのは、およそ20年ほど前のことである。 1989年、「時代を拓く‐新しい茶の造形展」(日本橋三越)の第一回展に風炉先屏風を出品した福本は、展覧会を監修した林屋晴三氏の「もっとも突飛なものを」という言葉に鼓舞され、 また茶室の建築家・中村利則氏を紹介されて、1990年、【天空の茶室】を発表した。中村の助言をもとに天井を想定し、にじり口の位置を工夫した180センチ角の茶室である。淡い藍染めの布に包まれた二 畳程の立方体という空間は、広すぎず狭すぎず人を包み込み、他者と程よい親密な距離を提供する。麻の布地の藍を透かして茶室の内部と外部は常につながっており、決して外の世界を遮断し「隔てる」 のではなく間を柔らかく仕切り、人を「包む」のである。 その後、八木製作所の加工技術を立方体の枠に活かすなど改良を重ねながら、作家は【霞の茶室】(l990年)、【朝霧の茶室】【タ霧の茶室】(いずれも2001年)へと、精度を高め、あるいは染め のグラデーションを変化させながら自身の茶室を展開してきた。立方体の精度は緊張感を、染めの階調は微かな弛緩をもたらす。その絶妙の均衡が福本の茶室にはある。 しつらいの道具やパーツではなく、茶室という空間そのものを創るという経験は、作家の空間意識を大いに刺激し、能舞台の幔幕など長大な布へも展開を見せてきた。 藍の空間そのものを現出させる‐この度の染・清流館での展示は、福本の茶室、布のしつらいにおける最大規模にして総括的な試みといってもよいだろう。
外舘和子(美術評論家)

2010,04,01-2010,04,25

鳥羽美花展

鳥羽さんとは、私が芸術大学在学中、一回生を指導する総合基礎課程を担当した折、 大学院修了したばかりの助手として御手伝いいただいた事に始まる。テキパキとした仕事振り、 行き届いた気配りに半年間楽しく過ごした。私とは全く異なる専攻ではあったが、 私の仕事をよく理解し、研究しているのには内心驚いた。気心の通じ合う中、私のアトリエに咲く花の写生に朝早くから通い、 花尚近くの葉を予め写生しておき、開花を待って花を写す、と云う花を写生する姿勢を貫き、そして素晴らしい作品を仕上げられた。 的確な写実力、そして其処に展開する美しい世界を体感しながらの作品は、後ベトナムをテーマとする作品にも濃く表現されてきた。 多分、"染ではなくて絵を描いたら"と云ったことがあるように思う。造形活動は全て、自然に学び、教えられて初めて展開する世界、 抽象表現とて例外であろうはずはないが、現代芸術と云う別の世界があるような錯覚が横行するやに見える今日、原点を織っている 彼女の仕事には多くを期待している。
上村淳之(日本画家)

 

 


2010,03,02-2010,03,22

木村菜穂子展

あくまでも伝統芸に徹する職人ならいざ知らず、自由で主体的表現に賭けるアーティストのジャンル越え新地平探しなど、理の当然でなければならない。美的ショックや感動を誘う作品ならば、どんな素材や技法でも、好いものを好いとするのが私の主義だ。絵画でも、工芸でも、彫刻でも、インスタレーションでも……。ミュー ズを懐深く内在させる作品を眼前に、腰を引く理由などどこにあろうか。美という“ 愛の原理”。自分の詩の中でこう定義したのは、確か草間彌生だった。木村菜穂子もまた、大局的には“ 愛の原理” を継承する現代の選ばれたアーティストの1人なのではない か。〈アートフェア東京2008〉における彼女の紅蓮の炎の大作「KUGUTU  イザナミ」の美との邂逅は、決定的だった。着衣の人体を写実的に描画するには、着衣越しに対象のヌードを透視できなければならない。「古事記」を題材とするこの作品の場合、それがなんと、画面上から展観者自らに厳粛に着衣を脱がせるば かりか、性までも開示するという精巧な装置に、まず驚愕した。あたかもフォンタナが、鋭利なナイフでキャンバスに切り込みを入れ、裏の空間を覗かせる以上にリアルに、強烈なインパクトを感じた。木村菜穂子は最初から、脱がせるべく仕掛け、少女時代の着せ換え人形的発想を援用したのだ。 きわめて鮮麗均質な色面で、くっきり、すっきり型取られる木村菜穂子の近作群。しかし例えば、画面の表層を1 枚剥ぐと仮定するなら、そこに横たわるのが、ヌエ(鵺)のような存在なのかもしれない。サルの貌、タヌキの胴体、トラの四肢、ヘビの尾をもつヌエ。鏡に映るおのれのすがたにたじろぎ、思わず挑みかか ろうとするヌエこそ、現代社会の化身そのものではないのか。その化身を極彩色で偽装し、表層に反転させる。偽装といえば遙かな昔、サルがようやく直立歩行する頃、ヒトとしてめざめかけたオスとメスが、互いの性を布で匿すようになる。偽装化の第一歩である。以来、幾多の偽装と競いながら、ヒトから人間へと変容 してきた。人間社会の文化とは究極のところ、こうした偽装の積み重ねで成り立つ歴史なのではなかろうか。木村菜穂子の画面は、本能に基づく精神的エネルギーと欲望との緊張関係でいっぱいに充たされている。極彩色のかたちはどこか謎めき、秘密が匿されているように観える。

宵待草は
裏切りを食べ
黄色い花を咲かせる
それを眺めていらっしゃる

お月さま
だれか
月を射ち落とせ
とりすましたあの蒼い貌には
秘密が匿されている

(『ワシオ・トシヒコ詩集』収録「月」)
木村菜穂子のサイコロジカルなロマンと神秘の創造世界は、現代の夜空に妖しく輝く、月の満ち欠けに喩えられるかもしれない。

2010,01,12-2010,01,23

三人展

個人作家たちによる創作染色が始まったのは、厳密にいえば第2次大戦後である。日展、新匠工芸展、日本伝統工芸展、後に日本新工芸展がつくられ、また重要無形文化財保持者 (人間国宝)の制度ができて、型絵染の稲垣稔次郎、友禅染の田畑喜八・上野為二・森口華弘が指定された。この4人と小合友之助などを創作染色の第1世代とするならば、本展の佐野猛夫、三浦景生、来野月乙は第2世代である。三浦はいう。「小合友之助先生に巡り会えたのは、私にとって運命的といえるもの」であり、「稲垣稔次郎先生には溢れる香りに似た純粋さを感じた」と。このことは、京都市立芸術大学染織科において、2人の後を佐野、三浦、来野が継いだことにもあらわれている。
本展はこの3人のl960年代と70年代の 「ノン・フィギュラティフ」(非具象)作品を展示する。「非具象」は「具象にあらず」だから「抽象」と同じだと考えられがちである。しかしこの語は美術史的には限定された意味で用いられる。つまり 「非具象」とは、具象と抽象の中間の特殊な傾向を指し、この時期の3人の作品に共通している。かれらの考えによると、人間の視覚は自然と密接に関係していて、自然の印象が作家のヴィジョンを養う。したがってその作品が外観的には抽象に見えても、自然対象に精神的操作を加えて、心のるつぽの
中で溶かしてから出すので、「抽象」とは異なる。つまり、外的印象から出発しながら、それを心的世界の表現に昇華させるのである。このように抽象に接近しながらも、これと一線を画し、つねに自然の生命にふれようとするが故に、かれらの立場は 「非具象」なのである。もとより、そのあらわれ方は3人3様である。佐野は流動的な風水の世界を、三浦は植物の精を、末野は鳥や人物の生命を志向しつつ、自然性と精神性の割合を微妙に変化させて、それぞれの作品の芸術的内容を深化させて行った。

木村重信 (染・清流館館長)


PAST EVENT GALLERY 2009

2009,12,01-2009,12,20

染色の領域  vol.3

「将来を期待される新鋭染色作家展」の一環として、「染色の領域」vol.3 「見知」が開催される。「染色の領域」シリーズは2007年11月~12月にVol.1「彷徨俯」が、2008年1月~2月にVol.2 「俯望」が当館で開催された。前2回は、いずれも独自の染色技法に根ざして染色の表現領域を広げようとする、染色界の中核で活躍する作家が作品を発表した。
3回目となる今回は、王同氏・小池沙弥花・鈴木純子 ・中川裕章4名による、染色のオーソドックスな手法を用いて表現を追求する作家と、染色の境界領域で制作活動を行っている作家のコラボレーションとなる。また、大学院での染色教育を修了したばかりの若手作家と、すでに内外の作品展で発表を重ねてキャリアを積んでいる中堅といえる作家が一堂に表現を響きあわせる。
王同氏と小池沙弥花は、ともにろう防染による染色の技法を表現手段として作品制作を行っている。王は、小舟や水車、あるいは静物などモチーフとなる事物を、抽象的に構成された背景の中に配置する、超現実的ともいえる構図によって、光や空気などの感覚をも豊かな色彩で表現しながら、内面の風景を際だたせる。
小池は、日常生活の中で堆積していく何気ない感覚や情報の断片が、自らの内部に視覚化されたイメージとして結ぶ形象を、ろう染作品に昇華させることで、自己の存在と外界との回路を確かめようとしている。
鈴木純子は、仮織りした織物にシルクスクリーンなどで染色し、その緯糸を抜いて糸に戻し、再度織り上げることによって構成する 「ほぐし緋」という手法によって作品制作を行う。遠い過去の写真などを題材にコンピュータで再構成し、織り上げられた作品は、緋によって生じる微妙にずれた輪郭の揺らぎが、無彩色の表現と響きあって、本源的なノスタルジーを喚起する不思議な時間と空間の感覚を醸し出す。
中川裕章は、デニムの生地をミシンで丹念に縫い重ねるという独自の手法によって、下着姿の若い女性の姿態を描き出す。布の重なりと色調の濃淡によって表された図像は、写真のように精密でリアルだ。しかし、そこから感じ取れるのは、生々しいエロティシズムではなく、むしろ現代という時代をモチーフに託して表象化した乾いた叙情である。
4者4様、テキスタイルというメディアによって、それぞれの表現を模索している今回のセッションが、「染色の領域」をより活性化するために、意義あるものになることを期待したい。

佐藤能史 (染織と生活社編集長)

2009,11,01-2009,11,23

蝋纈五人展/染むる心象

今回の企画は蝋防染を表現の媒体として創作する若い五名の作家達の展覧会です。彼等の技法と表現に対する共通の思索は、布に染料が染め入ることを完全な状態で防ぐ単純な防染方法で表現を行おうとしていることです。言わば染まらない工程を積み重ねることにより最終的にイメージの具体 化がなされます。この間接的に表す表現法が染色表現の一つの見本です。よしにつけ、悪しきにつけ基本には重要な意味が含まれており、これを通して他と異なる表現分野の存在を知ることとなります。

五名の創作について述べると

安藤隆一郎…人間の心の奥底にひそむ心理定まらないものへの探求があり、イメージと技法の接点を探る 近藤卓浪…自然の形象を独自な知的解釈で楽しみ、文様模様の思索を通じて平面造形表現の可能性に挑む

立松功至…部分の蓄積から全体像をつかみとる手法は現存の電子機器の仕組みを見る思いがあり、ハードな現実世界の中に人間感性のあり方を見い出そうとする

中井由希子…布の持つ優雅な可変性の中に、自然形象から感受した抽象世界を布に組み込む企てを行う

森絵実子…その時々の自身を丹誠に見つめロマン豊かに、的確に自分自身を染める

この様に五名が表わそうとする世界は様々ですが、それぞれに表現することの今日的意義を内包しています。それと同時に末成、不整理、不可解の問題の中に発想の源も見い出せることが出来、それが個性と繋がります。 今後各人が個性豊かに、分野のおもしろさを開拓し創作の楽しさと苦しさの中に自身をささげて行くことを期待します。若き創作者の存在を知って頂く機会が出来て大変有難く思います。

井隼慶人

2009,10,01-2009,10,23

第17回染・清流展/Part-2

「第17回染・清流展」の会場となる、世界でも珍しい現代染色の専門 ミュージアム「染・清流館」玄関口の横の壁面に、「SOME」という巨大 な文字が浮かび上がっています。そこには「染め」という言葉を世界語 にしようという壮大な志が込められています。 インド、インドネシア、アフリカのいくつかの国々など、民俗文化的 な手工芸としての染色が盛んな地域は世界の中のあちこちに見いだすこ とが出来るでしょう。しかし、日本のように、芸術表現としての「染め」 がきわめて高度に発達した国は、ほかに見つけることは出来ません。 日本からも多くの作家が参加した、2005年にアメリカのボストンで開 催された「世界ろう染会議」以来、インドネシアで製作される産業的な ろうけつ染をさす言葉「BATIK」にかわって、表現としてのろうけつ染 をさす言葉として「ROZOME」が英語でも認められ始めていますし、 「SHIBORI」という言葉も、絞り染めをさす世界の共通語としてすでに認 知されています。 そうした誇るべき日本の染色文化を、世界に発信していこうというこ とを、重要な役割の一つとして「染・清流館」は設立されました。 「染・清流展」は、1991年、日本を代表する染色作家が一堂に染色の平 面作品を発表する展覧会として清流会の主催によって創始されました。 第1回展には、佐野猛夫・三浦景生・皆川泰蔵・伊砂利彦・本野東一・ 末野月乙・麻田脩二など30名の染色作家が、当時まだまだ高かった会派 の垣根を越えて出品する画期的な展覧会として大きな反響を呼びました。 以来、第l5回展までは、京都市美術館を会場に毎年開催され、「染・清 流館」が京都の中心地・室町通りに出来てからは、そこを会場として、 開催の形も1年おきに開催する、いわゆるビエンナーレ形式とし、今回で 第17回目の開催となり、創設以来19年目を迎えます。 今回は、選定委員会によって選ぼれた、重鎮から新進気鋭の若手まで の作家45名が、前期 (9月) ・後期 (10月) 02期に分かれて、新作を発表します。関西に制作拠点を置く作家がほとんどですが、多くの作家は 全国の美術館や画廊で作品発表を展開し、染色表現の最前線で活動して います。また国際的に活躍する作家も少なくありません。 出品作品を見渡すと、伝統工芸から前衛的な志向の仕事まで、技法・ 表現・作品形態は実にさまざまで、現代日本の染色表現が驚くほど多彩 で豊潤な世界をたたえているということが感じられるはずです。 「染・清流展」は、その会場に並んだ作品群を俯瞰することで、「現代 の染め」がいま立ってある位相を窺い知ることの出来る、またとない貴 重な展覧会であるといえるでしょう。

2009,09,01-2009,09,23

第17回染・清流展/Part-1

「第17回染・清流展」の会場となる、世界でも珍しい現代染色の専門 ミュージアム「染・清流館」玄関口の横の壁面に、「SOME」という巨大 な文字が浮かび上がっています。そこには「染め」という言葉を世界語 にしようという壮大な志が込められています。 インド、インドネシア、アフリカのいくつかの国々など、民俗文化的 な手工芸としての染色が盛んな地域は世界の中のあちこちに見いだすこ とが出来るでしょう。しかし、日本のように、芸術表現としての「染め」 がきわめて高度に発達した国は、ほかに見つけることは出来ません。 日本からも多くの作家が参加した、2005年にアメリカのボストンで開 催された「世界ろう染会議」以来、インドネシアで製作される産業的な ろうけつ染をさす言葉「BATIK」にかわって、表現としてのろうけつ染 をさす言葉として「ROZOME」が英語でも認められ始めていますし、 「SHIBORI」という言葉も、絞り染めをさす世界の共通語としてすでに認 知されています。 そうした誇るべき日本の染色文化を、世界に発信していこうというこ とを、重要な役割の一つとして「染・清流館」は設立されました。 「染・清流展」は、1991年、日本を代表する染色作家が一堂に染色の平 面作品を発表する展覧会として清流会の主催によって創始されました。 第1回展には、佐野猛夫・三浦景生・皆川泰蔵・伊砂利彦・本野東一・ 末野月乙・麻田脩二など30名の染色作家が、当時まだまだ高かった会派 の垣根を越えて出品する画期的な展覧会として大きな反響を呼びました。 以来、第l5回展までは、京都市美術館を会場に毎年開催され、「染・清 流館」が京都の中心地・室町通りに出来てからは、そこを会場として、 開催の形も1年おきに開催する、いわゆるビエンナーレ形式とし、今回で 第17回目の開催となり、創設以来19年目を迎えます。 今回は、選定委員会によって選ぼれた、重鎮から新進気鋭の若手まで の作家45名が、前期 (9月) ・後期 (10月) 02期に分かれて、新作を発表します。関西に制作拠点を置く作家がほとんどですが、多くの作家は 全国の美術館や画廊で作品発表を展開し、染色表現の最前線で活動して います。また国際的に活躍する作家も少なくありません。 出品作品を見渡すと、伝統工芸から前衛的な志向の仕事まで、技法・ 表現・作品形態は実にさまざまで、現代日本の染色表現が驚くほど多彩 で豊潤な世界をたたえているということが感じられるはずです。 「染・清流展」は、その会場に並んだ作品群を俯瞰することで、「現代 の染め」がいま立ってある位相を窺い知ることの出来る、またとない貴 重な展覧会であるといえるでしょう。

2009,06,02-2009,07,24

祇園祭展

「祇園祭は、温和しい京の男たちが、大きな山鉾を押し立てて、太陽に逆らっての行進なんや」と話された恩師 ・稲垣稔次郎先生のことが懐かしく思い出される。 先生の型絵染「祇園祭」「盛夏の行事」を画集を開いて眺めていると、いろんな想いがこみ上げてくる。 今年 (2009年)から5年間、毎年6月、 7月と開かれることになる「祇園祭展」の中心になって企画、人選を引き受けることとなったのも先生への思慕からかも知れない。 ぼくが祇園祭と深く関わるようになったのは、l974年処女作絵本 『祇園祭』からである。当時の祇園祭山鉾連合会会長さんと八坂神社権宮司さんに大変お世話になった。 そのお陰で祭を支えるたくさんの方がたとお会いして、お話を聞かせてもらった。 絵本は祭を創り上げる側から描いた。人びとの熱い想いを表現できたと思う。その絵本が世界の賞を戴いたこともあり、ぼくは祇園祭とは離れられなくなってしまった。 しかし、世界に誇る祭だけあって、その魅力は尽きることのない深いものがある。 この「祇園祭展」の会場は、山鉾町のほぼ中心、鉾の辻の近く「山伏山町」にある。染・清流館は、世界にひとつしかない染色の美術館である。稲垣先生の頃より、 祇園祭と染作家の繋がりはあるし、山鉾を飾る染織物は文化遺産そのものだ。 この展覧会が縁になって、若い染作家と祇園祭 ・山鉾町との結び付きが深まってゆけば、 これ以上の喜びはない。これからの5年間、染の祇園祭はどのような展開を見せてくれるか、楽しみである。

2009,04,01-2009,05,24

染・京都百景展

日本唯一の現代染色のミュージアム、染・清流館の今回 の展覧会は、2期に分けて「染・京都百景」を開催する。 展示の柱になるのは、京都の製薬メーカー日本新薬株式 会社が50年以上にわたって毎年制作してきたカレンダーの 染色原画。重要無形文化財保持者(人間国宝)だった稲垣 稔次郎、芹沢銈介をはじめ、多くの染色作家が、この原画 制作に関わってきた。本展では、前期(4月)に物故作家、後期(5月)に現 存作家の作品を、50点ずつ展示する。日本新薬株式会社所 蔵のカレンダー原画はこれまで門外不出とされ、外部の展 示施設で展示されるのはこれが初めてのことで、大変貴重 な機会となる。 前期には、稲垣稔次郎、芹沢銈介のほか、春日井秀大、寺石正作、中堂憲一、西嶋武司、加藤正二郎、後期には三 浦景生、黒田暢、井隼慶人、春日井路子、内藤英治の、洛中洛外の風景や行事を染色作家ならではの独自の視点と表現で描いた額装作品が展示される。 また、前期・後期共通の特別展示として、来野月乙、渋 谷和子、鳥羽美花、喜多川七重、奥野弘久の京都の風景を 染めた屏風作品を併せて展示する。

2009,03,01-2009,02,3,22

京都精華大学退官記念 麻田 脩二展

藍より出でた青
今日、染色美術という日本独自の表現メディアは、当然ながら伝統的工芸的なメインストリームと、現代美術として確立させたいニューストリーム の両局面で展開されている。今回紹介する麻田脩二は、半世紀近い旺盛な制作活動で世界を駆け、染色をコシテンポラリー・アートにブレイクさせた異能 の作家である。麻田が入学した当時の美大染織科は、小合友之助、稲垣稔次郎という蝋染・型染の領袖を擁した輝かしい時代であった。彼は型染の簡素な造形、文様 の様式美、複製性に共感し、稲垣に傾倒していった。お二人の下から育った作家は数多いが、仏陀の掌から抜け出すのは容易でなく、「染色美術の現代化」に意欲を 燃やす麻田の思いは、この時代を「染色のロスト・ジェネレーションにしてはならぬ」ということであったにちがいない。型紙、糊材で布を防染し、植物染料ログウッド 一色で染め上げた初期のプリミティブな作風は、'60年代末期に突如変貌したいへん驚かされた。技法が顔料ステンシル、形態は思い切り削ぎ落とされたが了一口ティック に蠢きだし、まばゆいばかりの色彩が画面から三次元的に飛び出してきた。染色による現代美術への転換である。以後、円・正四面体・二等辺三角形・45度斜線という 単純形態を、対称・反復・直角回転させ、数度のマイナーチェンジはあるが、一貫して観る者にイリュージョナル・スキャンダルを提供してきた。この作画技法こそ 型染文様を字んだ麻田の独壇瘍のであり、ハードエッジな直線に絡まる曲線は、近未来の不安感、都市の寂蓼感にうち震えるぼくたちに生命力の尊さや不思議さを 訴えかける。染色の世界では顔料を格下に見る風潮があるが、顔料で彼のようにフラットな色面を創出するのは至難である。基調を担う黒色ぼとくに難しく、最終段 階で労作を台無しにして泣いたことも多いと年間30作をものにして笑い飛ばす。本展を新たなステップへのスタートだと位置づける柔軟さに「ますます青く」とエール を送りたい。作品に対峙すると、西陣の名門に生まれ育ち、伝統や旧弊に抗ったモダニストの息遣いが聞こえてくる。 清水忠(デザイン・プロデューサー)

2009,01,06-2009,02,22

忘れえぬ染色作家たち展

戦後、染織工芸美術の世界では、日展を中心に、さまざまな潮流が活発な活動を展開し、優れた染色作家を多く生み出しました。今回の展覧会では、 それぞれ独自の染色表現によって光芒を放ち、昭和の染色工芸界に着実な足跡を残した東西3人の作家を取り上げ、その業績を回顧します。


PAST EVENT GALLERY 2008

2008,12,02-2008,12,21

期待の新鋭作家展  糊と蝋 それぞれの表現

染料のにじみを制御すること、すなわち防染することによって染色の表現は成立する。糊と蝋は、その主要な防染材の役割を担ってきた。 糊は、米の文化の日本にあって、小紋、中形、あるいは紅型などの型染、筒描き、友禅、和更紗など、古くから広く染色技法に用いられてきた。 一方、蝋は、正倉院を除けば、日本では、近代以降に用いられるようになるが、堰出し、筆描き、版染、エッチング、亀裂染、撒き蝋、たたきなど、 きわめて多様なテクニックが生み出され、自由で伸びやかな染色表現を可能にしてきた。 今回は、糊染めとろう染めを表現の重要なメディアとする4人の新鋭作家がそれぞれの作品を発表する。 井上由美は透徹した人間観察によって、何気ない行為の中に浮かび上がる人間存在の異なる様相、あるいは日常の中に潜む非日常を、 デフォルメとろう染めの意識的に不明瞭にぼかした表現によって凝視しようとする。 加賀城健は、アクションペインティングにも似たアクロバティックな身体運動による糊置きによって、その行為の痕跡を布面に定着するという、 既成技法にとらわれない、しかも染色でしか表現し得ない独自の制作活動を追及している。 名護朝和は、型染特有の明快な表現によって、沖縄の風土や米軍基地のフェンスなど、沖縄で生まれ生きてきた自己の内面に蓄積された原風景を描き出そうとするが、 そこには沖縄のおかれた現実が否応なく映し出される。 西山裕希子は、物語や神話、あるいはジェンダーを主題に、染色に括り得ない多様な表現を展開しているが、その中で、蝋の堰出し、すなわち両側からせめぎ合う蝋の狭間に 成立する線で人物像を描き出すとう独自の手法によって、自己存在の輪郭を確かめようとしてきた。 新しい時代を切り開いてきたのは常に若者である。ここに選ばれた「新鋭」たちに「期待」されるのは、現在の染色状況に波紋を巻き起こすことだろう。
佐藤 能史(染織と生活社)

2008,11,01-2008,11,23

期待の新鋭作家展  ~めくるめく色彩とイメージ~

期待の新鋭作家展 ~めくるめく色彩とイメージ~

染織は人の暮らしに近いもの」このあたりまえのフレーズが忘れられ既に久しい。言い換えればそれは、ここ 100年の染織の 芸術化とも言うべき傾向と歩調を合わせてきた。得たものの背景には失ったものがある。染織をアートとして評価することで失ったもの、 私はここ 年それが気になって仕方がなかった。 それとは日常にあるものをいとおしく「愛でる」という価値である。 しかし近年はパブリックな美術館でも『KAZARI ―日本美の情熱』(※1) 『デコ ―装飾』(※2)など装飾にかかわる企画が多いことをみれば、それは私だけの杞憂でなかったようだ。 『KAZARI ―日本美の情熱』では、仏像、仏具や着物、屏風はもとより、鎧(ヨロイ)、兜(カブト)か10ら、箱迫(ハコセコ)、煙管(キセル)、 根付(ネツケ)、簪(カンザシ)にいたるまで馴染みのないメイドインジャパンが等価に並んでいる。 くらしーかざるー美術が有機的に結合していた時代があったことを今さらながらに確認する。 『デコ ―装飾』では、陶器や漆器、ガラス、染め物といった工芸品に施された装飾にスポットが当たり、そらは若い女性にはやりのデコ電(※ 3) にもパラレルな関係性があるとも指摘されている。今回の展覧会で紹介するのは、その流れに呼応するかのような女性4人による作品である。 いずれの作品もデコでカワイくカッコイイ。 つまり「装飾的に愛らしく極める」という日本の美意識をそのまま彼女らのDNAに持っている点が 特徴的である。 自由闊達である反面、染色の従来のお約束を逸脱しているかのような印象もあるだろう。しかし実は染色からも離れすぎず、 その距離の取り方が絶妙であると評価したい。なぜなら染色は時代とともにあるべきもの、汎用性があるべきものだと思うからである。 今回紹介できるのは一握りの新人だが、清流館という場で、かれらに「染め」の次代を試しに軽く預けてみたいと思う。 そうすることで今の染色の閉塞感を少しは突破できるのではないかという期待を抱かせる新人たちである。
京都造形芸術大学教授 八幡 はるみ

2008,10,01-2008,10,22

表紙原画展  ~三浦 景生~

表紙原画展 三浦 景生

「月刊染色α(アルファ)」(染織と生活社)の表紙を飾った黒田暢、三浦景生の「表紙原画展」。黒田暢は日常のエピソードをテーマに、そこはかとないユーモアを湛えた温かな型染作品が三浦景生は野菜をモチーフに、自然の深淵にふれるような幻想的世界を表現したろう染作品が、表紙という矩形の小宇宙に展開しています。

2008,05,01-2008,05,25

表紙原画展  ~黒田 暢~

表紙原画展 黒田 暢

「月刊染色α(アルファ)」(染織と生活社)の表紙を飾った黒田暢、三浦景生の「表紙原画展」。黒田暢は日常のエピソードをテーマに、そこはかとないユーモアを湛えた温かな型染作品が三浦景生は野菜をモチーフに、自然の深淵にふれるような幻想的世界を表現したろう染作品が、表紙という矩形の小宇宙に展開しています。

2008,06,01-2008,07,20

蝋からの発言 ~四人展~

蝋からの発言 ~四人展~

石田杜人・井隼慶人・栗原知枝・高谷光雄

2008,05,01-2008,05,25

舞妓衣裳展

舞妓衣裳展

きものは日本が世界に誇る美しい伝統的な文化です。 現在、「きもの」のしきたりや風習が乱れ、本来の美しさが失われつつあります。 祇園舞妓衣裳展では、伝統を守り続けている花柳界をとおして、舞妓さんにスポットを当てました。 四季折々のきものと帯、花柳界に伝わる祭事にあわせた衣裳を伊達衿や櫛、 簪も揃えて皆様にご高覧いただた企画です。併設展として、染色作家、春日井路子が舞妓をモデルに 京の四季を染めました。また、日本の伝統芸術文化・生け花を小原流京都支部に挿花していただきました。 美しい日本の伝統的な衣裳、生け花、染色を心ゆくまで、ご観賞いただきました。

2008,03,20-2008,04,23

女流六人展

女流六人展

アメリカの「ライフ」誌が、二千年紀つまり1001年から2000年における「世界を変えた100の出来事」のランキング発表したことがある(1997年)。それによると、第一位はグーテンブルグの活版印刷の発明で、次にコロンブスのアメリカ到着、ルターの宗教改革、ワットの蒸気機関車の発明、ガリレオの地動説とつづく。わが国に関係のある出来事では広島・長崎への原爆投下(16位)、紫式部の「源氏物語」(世界最古の小説、83位)、明治維新(88位)の三つが入っている。今年はこの「源氏物語」が記録の上で確認されてからちょうど千年をむかえるので、京都では源氏物語千年紀記念事業が多彩に展開される。本展もその一つで、紫式部をはじめ女性が活躍した平安王朝にちなみ、女流美術工芸六人が競作する。日本画、洋画、陶芸、染色、截金などいま最も生きのよい作家たちによる、いわば「現代王朝絵巻」である。古典の内容をくみ取りつつ、新しい造形によって創造された豊穣な美的世界を、心ゆくまで堪能していただきたい。

2008,01,08-2008,02,20

染色の領域展  Vol.2 俯望

染色の領域展 Vol.2 俯望

現代染色の最前線で活躍する8名の作家による作品展「染色の領域‐代謝する普遍と変容‐」が、染・清流館で開催されました。本展に参加した作家は、いずれも独自の染色技法に根ざして、人間存在の本源に関わる問題意識を孕んだ作品を追求し、染色の表現領域を広げようと制作に向き合う作家たちです。「Vol.2 俯望」では、市村冨美夫、田中秀穂、本田昌史、室田泉という、主に型やシルクスクリーンを表現手法とする4人の作家が作品を発表しました。表現形態、地域性、世代が異なる作家たちが、染色の領域という共通する磁場の中で、単に作品を展示するのみならず、互いに対峙し、あるいは共振しあうことで、染色表現の新しい地平を切り開くことをめざした刺激的なセッションとなりました。


PAST EVENT GALLERY 2007

2007,11,01-2007,12,20

染色の領域展  Vol.1 彷徨

染色の領域展 Vol.1 彷徨

現代染色の最前線で活躍する8名の作家による作品展「染色の領域‐代謝する普遍と変容‐」が、染・清流館で開催されました。本展に参加した作家は、いずれも独自の染色技法に根ざして、人間存在の本源に関わる問題意識を孕んだ作品を追求し、染色の表現領域を広げようと制作に向き合う作家たちです。「Vol.1 彷徨」では、河田孝郎、喜多川七重、菅野健一、吉引ありさという、ろう染を主要な表現手法とする4名の作家が作品を出品しました。

2007,07,01-2007,07,22

祭を染める二人展

祭を染める二人展

「祭」と「まつり」は異なる。「祭」は生贄の肉を手で供える象形文字に由来し、神仏をまつる祭礼を意味するが、「まつり」は記念や祝賀に集まる行事を指す。したがって祇園際とか札幌雪まつりと書く。本展はこの祭をテーマとしました。田島征彦さんは『祇園祭』(1976年)によって世界絵本原画展で金牌を受賞し、長尾紀壽さんは鎭花祭 や沖縄の豊年祭などによって新しい世界を開拓した。例えば、田島さんは仰瞰的に下から見上げた山鉾と上から見下ろした家並とを結合して、ひずみのある独特の空間をあらわし、長尾さんはデフォルメした自然や人物を単純な平面に還元し、いわばアラベスク風な空間を表現する。かくして伝統的な「祭」がきわめてモダンな情趣をたたえる。なお今回、二人はビルディングを利用したインスタレーションを共同でつくり、その多視点的構成をさらに発展させた。 
木村 重信(染・清流館館長)

2007,05,02-2007,05,23

藍染といけばな「三人展」

藍染といけばな「三人展」

五月という爽やかな時節に染・清流館において「染と花」のコラボレーションが展開されるということは心躍る思いがしました。文字通り多彩な染めのなかでも藍染めの高名なお二人の作家と、小原流の期待を担う金森厚至教授のいけばながどのように出会うのか・・・その創造空間をお楽しみいただきました。
小原稚子(小原流家元代行)

2007,04,01-2007,04,22

三浦  景生展

三浦景生展

本展は染色作家として最高位かつ最高齢の三浦景生さんの回顧展で、折しも三重県のパラミタ美術館における大個展と呼応した。三浦作品は純粋なファンタジーである。したがってその線や色彩は対象の単なる輪郭や属性ではなく、線はファンタジーを掘り起こす鍬であり、色彩はファンタジーの国への羅針盤である。彼の作品がきわめて様式化されながら、豊かな生命線を宿す所以である。しかもその快活で爽やかな感覚が年を追うてますます鋭くなることに、私は感動しました。 
木村 重信(染・清流館館長)

2007,03,01-2007,03,22

SOME・RIMPA展

SOME RIMPA展

新しくスタートした染・清流館。その第一回展が、現代染色作家五氏による「SOME・RIMPA」です。「琳派」といえば、もともと本阿弥光悦や俵屋宗達の感化を受けた江戸中期の画家・尾形光琳を中心とする流派。その大胆明快な装飾性は、陶工で光琳の弟・乾山や絵師・酒井抱一らに受け継がれ、絵画や陶芸だけでなく染織、漆芸、金工などにも少なからぬ影響を与えてきました。特に日本画の分野では今なお「琳派」の精神を受け継いだ装飾性が息づいているようです。今回の企画展を飾るのは、現代染色界でユニークな活躍を続ける福本繁樹氏をはじめ三橋遵、八幡はるみ、斎藤高志の各氏、それに2005年暮れに他界した来野月乙氏。技法も作風も五人五様ですが、それぞれの染作品には日本特有の装飾観が秘められているように思われてなりません。あえて「SOME・RIMPA」展と名づけた理由です。

染・清流館 ~染色専門美術館/京都~ ご利用案内

開館時間、入館料、アクセス、所在地

染・清流館 ~染色専門美術館/京都~ 友の会

染・清流館を通じてお互いの 交流を図り、染アートの普及につくましょう。

清流亭

南禅寺にある東郷平八郎が「清流亭」と命名した山荘。

染・清流館 リンク集

各種美術館、染色関連のリンク集です。

ご意見メール

染・清流館へのご意見、問い合わせ用メールです。

染・清流展

過去に実施した染・清流展について、出展作品をご覧頂けます。

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